コーヒーカップの悟り

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週に3日間のランチタイム、友達が蕎麦打ちする蕎麦屋でパートをしている。
その間は、頭も体もフル回転でシナプスとシナプスが繋がる有り難き時間。。と思うことにしている。

コーヒーを食後に出すのだけど、コーヒーをカップに注ぎながら気がついた。
カップに8部少し注ぐと丁度いい感じ。
だけど、7部だとどうだろう?
お客さんは、あ!少ないな、と思って嫌な気分に一瞬なるだろう。
5部だと?
お客さんは、ありえん!と怒りが湧き、店への疑問さえ感じるだろう。
例え蕎麦がどんなに美味しくても。

うちのカップは割に大きめで、そば茶、蕎麦湯と続くと、コーヒーは7部くらいにしたいとこだけど、やっぱり違うんだよね、、。
カップと中味のバランスなのだと思う。

これが、神様が個人に求めていることと似ている気がするのだ。
その人の器にみなった動きをしないと、神様だってお客さんと同じ気持ちになるのではなかろうか?

本当は器が大きい人なのに、みんなが180ccの動きしかしないなら自分もそれでいいか?と思っていると、
罰があたる。
言い方を変えると、気付くために
ビシッとムチを打たれる。
神様は意外とサドなのだ。
だから、ムチがあたった時は、自分は思っているよりもっと大きな器なのだと思わなくてはならない。

忙しいランチタイムの最中、
こんなメッセージが舞い降りてくる。
シナプスが繋がった瞬間だろうか?

お客さまは神様だ(ミナミハルオ)
とは良く言ったものだね!

ムチをありがとうございます。
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by usa-kunisachii | 2014-06-19 01:21  

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